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今日は西東京市にある六都科学館にてストリングラフィのコンサート。
子供達、かわいかった。 キラキラの笑顔だけど、思ったこと口にして遠慮なんて言葉は知らないんだよね。 素敵だ、こども。 いやきっと四六時中いたら大変なんだろうけど。 先日、大学の時の同級生に会った。 卒業してはじめて会ったので20年ぶり。笑。 私は学校キライだったから学校のことに関してはほんと、覚えてないの。 申し訳ないくらいに。 私の通っていた学科は100人くらいいてそのうち男子は1割の10人程度。 顔と名前くらいは知ってても、よく話をするとなるとなにかしらきっかけが必要になる。 久々に会った彼は4年の時のゼミが一緒だった。 だけど、連絡もらった時に、私、そんなに話したことあったっけ?と思っていた。 そして、会って話をしてみたら、ゼミでは結構仲良しで、よく話していたと。 なんとも、記憶力のなさが確信的になってしまった。 でも、いろいろ話してみて、過去が蘇り、思い出すことも多々。 そう、ゼミの中で彼と私だけは点数がCだったこととか、ゼミの旅行で2人で別行動したとか、 そんなたわいないことなんだけど。 覚えていても覚えていなくても、事実、そこにいた。(らしい) 不思議だけど、事実?(記憶)は私が感知しないところでも生きている。 私が感知しうることが私の記憶? でも。 記憶に乏しい私は忘れてることがあるけど、忘れた中に何かあるんじゃない?と思う。 そう思って、もっともっと以前の記憶を辿りたくなる。 私が忘れている、私の記憶をとてもとても知りたくなった。 覚えていないだけで、あったはずだし、きっかけがあれば思い出すかもしれないし、 だからこそ、そこにその遠い記憶に、私の今の悶々の答えなりヒントなりがある気がするのだ。 自分だけじゃ思い出せないことってあると思う。 ほんとは自分はすべてを知ってるし、自分のことは自分でしかわからないかもしれないけど 誰かの視点で思い出せることってあるんだなと。 人の視点はそれぞれだから。誰かの視点が私に必要な時もあるのだろう。 子供のころの記憶もそれに等しいのかもしれない。 子供このころの私を思い出すことで、今の私が浮き彫りにされるような気がしている。 たくさんの記憶を溜めるけど、いつか忘れて、蓄積していって。 誰かがそれを崩し、でもまた溜まる、そんな繰り返しなのかな。 私はまだまだその道を歩んでいるよ。 子供というのは「生」で大人というのは「死」というならば 私は「死」に向かって歩み続けているのだと思う。 私が生きてることだけは確かである。
by minacha-yam
| 2012-11-11 22:28
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