夢は記憶ではない、夢は今も別に存在している場所、夢は人々が共有している場所。
夢うつつの明け方に、夢なのか夢じゃないのか、言葉なのか気づきなのか、そういうことを想いながら目が覚めた。だけど、この言葉の意味が実はとても大きくて、私の夢というものへの見方がまた一段と深まったというか、違う視点が入ってきた。そう、夢は記憶じゃないんだよ。
実は、その前日に、8月に行う夢本個展のためにギャラリーへ出向いていた。レイアウトとかその他、その昔ギャラリーに勤めていたりアートは好きだから絵を見たりというのはするけれど、自分が個展を開催するのはもちろんはじめてで、頭の中にある大まかなイメージを形にするためにとりあえずは会場で人の意見も聞きながら現実にするべく案を練っていた。ギャラリーオーナーとデザインを頼んでいる友人と、それぞれの意見を参考に、いろいろ考えて思案していると、アイデアも次々浮かんでくる。私はStringraphyLaboでも謳っているけれど、曖昧な世界とか曖昧な立ち位置、みたいな、境界線の間に存在していたい思っていて、両方をつなぐ媒体が自分、というのを意識しているんだけど、(縁結びユニットもまさにそんな感じ)夢の中は私のもので、私のナカをソトにつなげる、と思っていたのです、ずっと。夢は、私の記憶であり、私自身であり、自分だけのもの、たまに誰かや何かとつながるような夢もあるけれど、私のもの。でもね、違うかも。
記憶というのは古いもの、という認識がある。アンティークとか錆びたものとか朽ち果てているものとか、新しいものはあんまり好まずそういう古い人々の記憶が染み込んだようなものが好き、ということもあるし、夢は記憶のようなもの、という想いから、それを現世界に形にしようとした時に、古い朽ちたイメージが必然的に湧いてきて、古くさくする、ということに重点を当ててしまおうとしていたけれど、多分そうじゃない。夢は夢の世界だ。私の記憶も刷り込まれている新しい世界だ。それを、自分の現実だけのイメージに当てはめてしまうのは、あまりにも簡単すぎるなぁと。曖昧な境界線に立つのなら、もっと自己を捨てていいかも、なんて思ってしまった。要するに、頭でこうしよう、と考えるよりも、もっとちゃんと夢とつながってそこからのインスピレーションを得るべきなのですね。なんて、多分、私の周りの絵描きや音楽家は、そういう内なるものから作品を創っているではないか。なにをいまさら、、、だけど、笑。まぁ、私の場合は、素材=夢はもう現実に産まれてきているので、それをいかにただのアンティークのようにならないように展示できるのか、です。ということで、私の創作活動はつづく、、、、、。個展とかやったことないからさぁ、、、と言い訳しつつ、本当に私は何屋なのだろうか、、、。