GWとかほぼほぼ関係ないのだけど、仕事と遊びと交互に押し寄せた。疲れている。GWの忘備録ブログを書こうかと思ったのだけど、なんか違うな。そう、最近また夢を見始めた。覚えていないことが多いのだけど、どうもすごく重要な夢を見ているような気がしてならない。夜中に目を覚ましてその夢の破片を辿るも、破片よりももっと小さなかけらしか思い出せなくて、でもそれが心の中ではとても印象的なもので(覚えてないのに)あっちとこっちを行ったりきたりしているような気分になる。他の仕事が入ったせいもあって、夢本個展のことが少し遠のいていたのだけど、夢を見始めたこともあって、また個展に対するイメージが出来上がってきつつある。
思ったことを書きなぐるノートがあるのだけど、なんとなくそれを読み返していた。多分、ブログにも書いていたけど、今年1月に書きなぐることをしはじめて、崖っぷちから生還した。1月17日からはじまったそれは、1月29日のひどく死にそうな文章で終わっていて、そのあと2月9日のノートまでの間に自分の中でなにかが劇的に変化したらしい。人は愚かでいい、良しとされない気持ちの取扱い、(言いたい)コトバを溜めていると疲弊していく、、2月9日のノートにはそんな言葉があった。劇的な変化の途中の気持ちを見てみたかった。この時、相当に考えて感じて何かを突き詰めていったのだろう。そういう時は文字を書くことすらできないものなのかもしれない。生還したからか、そこからまた1ヶ月は何も書いてないのだけど、むっくりと復活したのが春分すぎてからで、昨年やりたくてできなかったことをここらへんから一気にやりはじめる。夢本個展もここから復活した。
ちょっと前のある日、めちゃくちゃ沖縄に行きたくなった。2012年に行った以来訪れてはいないのだけど、その時に、それこそ夢の破片のさらに欠片のようなものを、沖縄に落としてきた。私の魂の欠片のようなもの。いや、本当に落としたかなんてわからないのだけど、私はその旅から帰ってきてまったく空っぽになってしまったのだ。あの時の不思議な感じはどうにもコトバにできないけれど、たまにむちゃくちゃに沖縄に行きたくなるのは、私の落とした欠片が時に共振しているんじゃなかろうかと思っている。そう、だから多分沖縄に行きたいのではなく、あの時の自分がいた沖縄に戻りたいのだ。私はあの時、ある種の夢の中にいたような気がしている。桜坂の映画館で見た、ピナ・バウシュの「夢の教室」で涙が止まらなかったこと、海の色、雨の夜、夕立、あてもないドライブ、街を歩く、散歩、猫、コーヒー屋、天井のガラスにあたる雨、、、なんでもないこと。